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いきなりdangoの挑戦

「明日は今日と違う自分になる」を目指して、読書、健康、子育てなどライフログ

ごみしれ

「ごみ」を知れば経済がわかる。

本書の前書きで、「ごみ」=誰かに不要と判断されたものと定義されている。

そして、

「ごみ」と呼ばれたものを使い、暮らしを豊かにしたり、活用される時点で、「ごみ」はごみで無くなり資源となる。と定義されています。

 

本書では、かつて「ごみ」と呼ばれた資源を使って、よりよく生きるための「経済」の話、「ものづくり」の話を中心にまとめてあります。

 

本書では、日本で生活する中で、多様な価値感があり、

とてもきれいで、まだまだ使える物が、「ごみ」として捨てられ

「ごみ」にしか見えないようなものが、ヤフオクなどのオークションで高値で売買される。

いるといらないの間がつながっているわけではなく、大きな溝がある。と書いてあります。

ほしいひとがいるのに、不要なものとして扱われ、届けることができない。

資源の浪費以前に、「ものづくり」という意志の無駄遣い。が日本で起こっていると書いてあります。

これは、筆者が、リユースビジネスの会社に勤めた経験を持っているために、書けることだとおもう。

 

いるといらないのギャップはどう埋めればいいのだろうか?

1番の問題は、物が多すぎること、物であふれかえっていること

 物を作り、売ることが資本主義の根底であり、お金を得るには、物を作り、消費させることが必要である。

2番目に、再利用の選択肢が少ないこと。

 中古品を購入しよう・手に入れようとした時、どこにいくだろうか?

 ハードオフなど

 ネットオークション

 フリマ

 これぐらいしか思いつかない。

 ハードオフなどでは、利鞘が多くとられ、品質に対して価格が満足いく物が少ないと思う。

 そのため、商品の供給が少なく(売ってくれるひと)、売れ残り商品が増え、負のスパイラルに陥ることが多くなり、成功事例を稼げないでいると思われる。

 フリマは、いろいろなところで開催されているが、物を得るための第一選択肢にはなり得ていない。

 土日に開催されることが多く、平日必要とする場合など、需要の機会を失っていることが多い。

3番目に、リユースする意識が、そのものをいらないとしている側にすくない。

 いらないとなった時、多くの人が一番の選択肢として、ゴミとして捨てることを選ぶだろう。

 それは、春の時期になると、粗大ゴミの引き取りステッカーが500円で飛ぶように売れていることからもわかるだろう。

 リユースする側には、リユースという形で処理をすることは手間なのだ。

 

いるといらないのギャップは大きく、そのギャップを埋めるのには、活動が必要だ。

しかし、そこには、利鞘が少なく大きなビジネスとしては成り立たない。と思う。

 

日本の中でギャップを埋めるのは、何がいいのだろうか?

芸術、デザインだろうか?

 

本書の前半は、東南アジアを中心に、日本で不要とされているものが、どのように必要とされているか?

そこに、我々は何を学ぶべきなのか?について書いてある。